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2007年4月

OnLine

さてさて待ちに待ったGWがやってきたわけですが・・・やはりと言うか、当然と言うか、どの道も大渋滞ですね(><)
これはきっと日本の文化なのでしょう。この渋滞があるからこそ、GWの雰囲気がより一層、盛り上がるのでしょう♪
休日はCARPENTERSの曲を聴きながら六甲山をドライブ@車内での独り言が絶えないふぇんりるです☆


さて、今日のネタは「OnLine」についてです♪

 「OnLine」
 最近ではインターネットを使える環境さえあれば、生活に必要なものはたいてい手に入るようになってきた。それどころか、趣味やビジネスの分野においても充分な情報やシステムがインターネットの中には存在する。つまり、ひと昔前では考えられなかった”家から一歩も外に出ることなく生活する”ことが可能となりつつあるのである。

 近年、社会問題として取り上げられているもののひとつとして、ニート問題がある。彼らは、仕事をする気がなく生活していくことを試みている、新感覚的な存在である。このように仕事をせずに生活しようとする存在は、近年に関わらず、おそらく江戸時代やそれ以前の時代にも多少は居たことだろう。では、なぜ近年になって「働かざるもの食うべからず」の諺に正面きって逆行する存在にスポットが当てられたのか。それは、インターネットの普及に伴い彼らニートの増加率が、社会全体の将来像を想定したうえで看過し難い状況になってきたからである。

 宮部みゆきさんシリーズの中に「R.P.G」という作品がある。この作品では、インターネットの中で擬似家族を演じる若者やサラリーマン、そして彼らに翻弄される人たちの心理描写を主軸としてストーリーが進められる。また、この作品の中では「サイバースペースで育まれる人間関係には、現実社会のそれと同じくらいの価値もあれば、温かみもあるんです。」という一節が含まれている。つまり、インターネットによって生活するだけではなく、人間関係を構築することさえできるようになったことが、ニート達にとって社会に出る意義を喪失させた原因のひとつとして考えられる。

 近い将来、インターネットの普及率が100%に達して国民のほとんどが外出なんてしない時代が来るとすれば、必然的に交通量は激減するだろう。そうすると、GWに渋滞することもなく、また、わき見運転で事故を起こすこともなくなるだろう。しかし、人と人が直接、会って会話することや触れ合うことの温かさは、やはり、人同士でしか味わうことができないだろう。

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調理×料理

最近、汗をかく量が急激に増加する傾向を示しています。僕の家は駅から少しばかり距離があるのですが、健康維持のため自転車に頼らず歩いています。すると駅に着く頃には・・・もちろん汗だく♪職場に着くと、自己鍛錬のため階段で5階まで・・・もちろん汗だく♪
通勤ダイエット・・・流行るかな(^^)

ダイエットしたいけど焼肉は大好き@通勤ダイエットに夢中のふぇんりるです☆

さて今日のネタは「調理×料理」です♪

「調理×料理」
 おそらく、たいていの人は今までに一度くらいは家で料理を作った経験があるだろう。野菜を炒めるだけのお手軽な料理を作る人から、パスタの生地から作る本格的な料理を作る人も居るだろう。ちなみに僕は週に一度はカレーを作っている。僕が作る場合は、最小限の食材で最大限の量を作ることから「哀愁カレー」と命名している。解釈はご自由に♪
このように、家で食材を料理に仕上げるにはそれなりの労力と時間が必要となる。そこで、労力や時間の節約の意味も込めて、たまには外で美味しい料理を食べに出掛けることもあるだろう。

 外食する店には、当然のことではあるが、調理場なるものが存在する。客から注文を受けたメニューは、この調理場で完成されてから客のもとに運ばれる。調理場において、メニューを完成させる為に担当のスタッフがいるわけだが、彼らがおこなっているのは、料理ではなく調理である。言葉の意味としては、ほとんど同意語のように使われているが、ニュアンスが少し異なる。料理は、食材の準備からすべてを行うことを指し、調理とは、予め準備されている食材を加工することを指す。つまり、レストランの調理場では多数の客のメニューに対応するために食材を仕込んでおり、それをマニュアルに沿って調理するのである。

 僕は個人的には調理を好むのだが、やはり、こだわりを活かせる料理を好む人も多くいるだろう。どちらにしても、自分が食べるものを作る時は、美味しいものが完成する期待が膨れ上がる。そして幸せな気分になり、更なる美味しさへ繋がるのである。

 今日はなぜ料理に関するネタかというと・・・ついに見ました

              「バンビ~ノ!」

今回(第2話)はじめて見たのですが、カッコイイですな♪
イタリア語(?)でのオーダーの通し方といい、気合の入った返事、そして、綺麗な支配人♪是非、あんな店があれば行ってみたいですな☆
メガネのおじさん(←名前は知らない・・・)のセリフ「調理場は店のエンジンだ。誰か一人でも動きが止まればエンジンが止まり、店が止まる」
これはもう名言です!!
すでにハマリまくる予感がしたドラマでした(^^)

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気まぐれ

今日は職場にて、今年からの新入りを対象としたセミナーなるものがございました。そのセミナーでは、まず、職場の構成説明から導入が始まり、お決まりの「接遇研修」に突入しました。そして講師は、やはりお決まりの元気なマダムさんでした(^^;
接遇マナーには少し自信はある@元気なマダムは苦手なふぇんりるです☆

さて、今日のネタは「気まぐれ」です♪

 「気まぐれ」
 人が何らかの行動を起こす際には、その行動に関する情報を脳が掻き集めて、そこから算出されるもっとも有効な方法を用いて実行するような仕組みになっている。例えば、電車に乗るときには、切符を買って改札を通ることがベストである。これを、切符を買うという方法以外を選ぶとすると、まず思い浮かぶのが改札を飛び越えることである。改札を飛び越えるには多少の労力が必要だが、飛び越えてしまえば切符を買って改札を通ったときと同じ状態になる。しかし、その後に駅員さんに捕まることは明白である。こうなると、電車で移動することが目的とするならば、あまり有効な方法とは言えないだろう。では、人は行動する際には常に有効な方法を考えてから行動しているのだろうか。

 誰にでも経験があることのひとつとして、「衝動買い」が挙げられる。街をぶらぶらと歩いていると、いろんな店が並んでおり、いろんなものが売られているのである。そうなると、自分の奥底に沈め込めていた欲望が湧き出てくるのは仕方のないこと。そこで、買い物をするという行動を前に有効な判断が出来るかというと、その可能性は低いだろう。つまり、「気まぐれ」で買い物をしてしまうのである。また、天気が良い日の通勤時には、まわり道をしていつもとは異なった気分を味わいたくなるのも「気まぐれ」である。

 しかし、先ほど挙げた例は自分を取り囲んでいる周囲の情報に影響された上での、自己の判断からなる行動の選択であると言える。「気まぐれ」には、もうひとつの種類がある。それは、無意識から成る「気まぐれ」である。例えば、部屋を片付けていたはずなのに、気がつけばアルバムに魅入ってたり、玄関を掃除するはずが、気がつけば革靴を磨きたおしてたり。である。この気まぐれにか限りなく本能に似たものによる作用であると考えられる。

 よく「気まぐれな発言には責任感がない」と言われるが、その気まぐれな発言にこそ、本心が含まれているのではないだろうか。相手の気まぐれな発言に対して、動揺してしまったり過剰に反応してしまうのは、無意識のうちに気まぐれの裏に潜む本音を感じ取っているのではないだろうか。

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温泉文化

世間を騒がせたインフルエンザブームも、最近はずいぶんと影を潜めてきているようだ。すると今度は、五月病が蔓延してきそうな兆しがみられる。この病は新社会人に感染しやすい性質をもっているが、ベテランの社会人も、うかうかしていると感染する。というのが通説である。
五月病は風邪と同じで、他人にうつせば治る@風邪をうつされやすい体質のふぇんりるです。

さて、今回のネタは「温泉文化」についてです☆

「温泉文化」
 温泉が全国のほぼ全域において湧くのは、世界中でも日本だけだといわれている。そのおかげで日本では温泉に入ることが、国民共通の文化になっている。この文化は、墓石を古墳と呼んでいた時代から存在する。そして、当時の文献に基づいて「伊予の湯」=愛媛県・道後温泉、「牟婁の湯」=和歌山県・白浜温泉、「有間の湯」=兵庫県・有馬温泉が「日本三古湯」と呼ばれている。
 
 温泉が文化として根強く定着している要素として、滋養効果をもたらすことが大きな割合を占めていると考えられる。「湯治」という言葉どおり温泉に含まれる様々なミネラル(詳しくは知らない・・・)によって、体の不調を改善することができるのである。この方法で病を改善する方法は、日本に西洋医学が本格的に採用されるまでは、主な治療方法のひとつとされていた。しかし、現代に於いても温泉文化が廃れずに位置するのは、また別の要素が考えられる。
  
 それは、遊興の場としての要素であると考えられる。特に、家の風呂や銭湯では味わうことの出来ない楽しみ方として、露天風呂が挙げられる。夜空に浮かぶ星や月を見上げながらの入浴は、言葉では表現しきれない程の感動を味わうことが出来るだろう。また、壁や天井がなく開放感に溢れた空間であることが、更に感動の後押しをすることだろう。

 これらの温泉によってもたらされる様々な効用が、人の心や体を癒すことによって、温泉文化の更なる発展に繋がると考えられる。
てなわけで、来週、四国へ温泉めぐりの旅をしてきます♪五月病対策になるといいな☆

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十人十色

 雨が降ると悲しい気分になる反面、普段では姿を現さない自分自身と向き合う時間が出来る機会でもあると思う。それは、曇りの日や嵐の日でもそれぞれ、また違った自分自身の側面を見る機会だと思う。人の心ってのも天候と同じで気紛れなのかな・・・。
今日は雨が降っていたので一日中、読書してた@インドア派、要はヒキコモリなふぇんりるです☆
 
今日のネタは「十人十色」です♪

 「十人十色」
 人はそれぞれ好みというものを持ち合わせていると思う。例えば、食べ物やファッション、そして音楽においては特に顕著に現れるであろう。他にも、好きな季節や地域などの好みも人それぞれである。これらの、人それぞれの好みというのは、どのような段階を経て形成されるのだろうか。
 
 小学生の頃の給食メニューで圧倒的に人気があったのは、やはり、カレーライスだろう。デザートでは、プリンや冷凍ミカンが多くの支持を得ていたと思われる。しかし、大人になった今でもカレーや冷凍ミカンを食べることが至福だという人は少ないのではないだろうか。これは、小学生の頃はみんな同じ昼食を食べていたが、成長するにつれて食生活が様々になることに起因すると考えられる。つまり、人はいろんなことを経験していく中で、常に取捨選択をして成長しているのである。
 
 また、モノの考え方に於いても同じようなことが言えるかもしれない。これは誰もが一度は聞いたことのある話だと思 う・・・お城を建てる大工さんの話☆
むか~しむかし、あるところに三人の大工さんがいました。彼らは、ある日、お城の壁を作っていました。そこで、大工Aに「何を作っているの?」と尋ねたところ、A「石を積んでいるんだよ」と答えました。同じことをBに尋ねるとB「城壁を作っているんだよ」と、Cは「城を作っているんだよ」と答えました。とさ・・・☆同じことをしていても、考え方は人によって異なる、という一例である。
 
 人は好みや考え方が違うが、それはその人が積み重ねてきた経験であり、取捨選択の成果だと思う。それは、いつか遠い昔に聞いたことがある立候補オタク羽柴秀吉が日本全国津々浦々で日々立候補しまくっていようが、まだ存在してたの!?って感じの夫婦デュオ「Le Couple」(ル・クプル)が活動休止宣言をしようが、その人たちの自由である・・・っていう話☆

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すぱいしぃ

一人暮らしをしていると、必然的に自炊することになる。しかし、自分だけが食べるものとなると、やはり、定番メニューなるものができあがってくる。僕の場合のそれは「魚料理」である。
焼魚を作って部屋をモクモクにしてしまった@今日の香水は焼魚の香りのふぇんりるです☆
 
 
さて今日のネタは、「香辛料(スパイス)」についてです♪
 

「スパイス」
 日頃、料理を作るにあたって欠かせないものと言えば「調味料」であり「香辛料」である。まず「調味料」であるが、これは、いくら「素材にはすべて素材独自の味がある」と詭弁を弄しても覆せない事実として「料理のさしすせそ」という言葉が証明するように、これなしでは料理は成立しない。次に「香辛料」であるが、これは果たして調味料に並ぶ程の存在性はあるのだろうか。

 例えば、もっともポピュラーな香辛料のひとつであるコショウは、ラーメン屋に行けば必ずと言っていいほどテーブルに当然のごとく設置されている。しかし、これは人によっては使用せずに料理の味と楽しむこともある。ちなみに、僕もラーメン屋でコショウを使用することはほとんどない。また、スーパーに行けばあらゆる種類のスパイスを販売しているコーナーがある。そこには、知っているスパイスもあれば名前を聞いたことがある程度のものもある。そして、名前すら聞いたこともなく用途不明なスパイスが多数を占めている。

 しかし、一般家庭でスーパーで販売されているスパイスを存分に活用して料理をすることは極めて少数であろう。むしろ、「スパイスに頼らなくても充分美味しい料理は作れるわ!」という猛者もいるだろう。
では、なぜ多数のスパイスが存在するのだろうか。それは昔、食材を長期保存するために用いられていた香辛料に由来する。そして、この香辛料を料理に使用することによって、今までにない味を作り出すことを好んだ西洋貴族が発端となっている。

 人は人生において、いろんな経験を積むことを「人生にスパイスを加える」と比喩することがある。つまり、人生において今までにない味を加えて、刺激を与えることが「スパイス」の役割なのではないでしょうか。
普段の生活に退屈している人は、とびきりスパイスの効いた料理を食して生活を一新してみてはどうでしょう。

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信号待ち

街を歩いていると、あらゆるところに存在し、ただ存在するだけに留まらないモノがある・・・それは「信号機」である。

「信号機」は、人通りが多いところはもちろん、一台でも車が通り一人でも人が歩く場所には存在する。これは、交通ルールが存在する限り、必要な存在となる。

 現代の人々は、よく‘せわしない`や‘せっかち`であるといわれる。というのも、通勤時間帯に必ず起こる通勤ラッシュであり、また、道路での追い抜きが慢性化していることで証明される。信号待ちであっても、「青は渡れ、黄色は急げ、赤は気をつけて渡れ」という慣習語になっているように、待つことを極端に嫌う傾向がある。

 これらの現象の背景には、「他人への無関心」が少なからず割合を占めていると考えられる。隣に立っている人は知らない人、前の車は遅くて迷惑、横切る車は関係ない・・・。

 ところで、当たり前のことではあるが、人はそれぞれ全く異なった経験を経て、今の自分があるはずである。その中には、無数の偶然が重なり合い、そして、わずかな必然を生み出す。例えば、この大学に入学しなければ出会わなかった人や、違う大学に入学していれば出会うはずであった人もいる。また、この会社に入社していなければ経験できなかったことや、別の会社で働いていれば異なったスキルが付いてたこともある。

 このようなことの中では、当然、思いどおりにいかないこともあれば、苦労することもある。しかし、これらは自分が生きていくうえで、避けることができない交差点であり、それはこれからも無数に存在する。

 

 そのときには、少し立ち止まって信号が変わるのを待ってみてはどうだろう。そうすれば、少しは余裕ができて違う道を歩むきっかけになるかもしれない。

 なんてことを綴りながらのデビュー作です☆次回からは、ラフな文章でてきとーに更新します♪

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