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2008年6月

ことのは

何千年もむかし 

 

ひとは言葉で意思の疎通を試みた

 

はじめは言葉とはいえないような音によって

 

ひとは次第に言葉のバリエーションを増やしていった

 

多くの語彙を巧みに操り、心を表現しようと試みた

 

心を表現しようとして、言葉を多く発することに全力を注いだ

 

すると同時に、心と心の距離は広がっていった

 

今、ひとはこのパラドックスを打ち破ろうとしている

 

今、ひとは言葉に心を乗せて伝えることを試みようとしている

 

それが “言の葉”

 

伝えたいひとに伝えようとする“ことのは”

 

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終わりからの始まり

ひとは幸せを求める存在である。
 
よく幸せの象徴として持ち出される“白馬の王子様”“青い鳥”は昔話に出てくる存在であるが、これらは、ひとが幸せを求めるが故に作り出された存在である。
 
ごくごく平凡なサラリーマンであっても、いつかは幸せな生活ができるようになると、心のどこかで信じている。
  
 

 

昔話は、たいていハッピーエンドになるように作られている。こどもが読んで夢や希望を失わないように、という配慮があるのだろう。
 
例えば、有名な寓話で「シンデレラ」が挙げられる。

シンデレラは意地悪な姉妹にいじめられてツライ日々を送っていたが、ある日、魔法使いが現れて、美しい姿になったシンデレラは王子様に気に入られて、幸せになるという話である。
 
ここまでだと、誰にでも幸せになるチャンスがあり、そして、そのチャンスは誰にでも訪れる可能性があるという印象を与えられる。
 
たしかに、このような物語を読むことによって、幸せになれる可能性を感じると、その可能性に期待して普段の生活が楽しくなるかもしれない。
 
 
 
 

しかし、「シンデレラ」の物語は主人公のハッピーエンドで終わっているが、その後はどうなったのだろうか。ずっと幸せは続いたのだろうか。
 
必ずしも幸せが続くとは限らない、ということは考えられないだろうか。

例えば、王子さまが浮気をするかもしれない。 

また、王子さまの親と相性が悪いかもしれない。

 
などと、幸せの先にも不安を感じる要素は存在する。
 
では、どうすればいいのか?

 
幸せの代償だと思って諦める?

 
あらゆる不安要素を想定して対策をたてる?

 
そもそも、幸せを求めずに平凡な生活を送る?

 

 
 
ひとは幸せを求める存在である。

 

 
 
不安を抱えたままでの幸せは、本当の幸せとは言えない。
 
もし、あなたが幸せな環境、もしくは、ツライ環境にいるとする。

そのとき、あなたがとる行動は、諦めることでも不安を抱え込むことでもない。 

 

 
今の状況を受け入れることによって、新しい“これから”へ向かうことができるのである。

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