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制約と誓約

ひとは誰しも二面性を持っている。

 

 

何か行動を起こそうとするとき、引き止めるもうひとりの“自分”がいる。

 

 

行動を引き止める理由はいくつでもある

 

 

「時間がない」

 

 

「お金がない」

 

 

「準備ができていない」

 

 

「まだその時期ではない」etc...

 

 

 

行動を起こすことに対して、理由をつけて一歩を踏み出せない“自分”がいる。

 

 

 

     制約のための制約

 

何らかの行動を起こすことに対して、変化を拒む“自分”がいる。

 

 

変化を拒むことは、今までの環境が心地良いから。

 

 

変化を受け入れることによって、今までの平穏が失われる可能性が脳裏をよぎる。

 

 

平穏を守るために行動を制約する“自分”がいる。

 

 

 

     誓約のための制約

 

大事なものを守るために行動を制約しなければならないことがある。

 

 

その制約は決して消極的な気持ちに基づくものではない。

 

 

しかし、「大事なもの」を行動を制約する大義名分にしてはならない。

 

 

 

 

行動を制約することは、視野を狭くする。

 

 

行動を制約することは、自己の成長を止めることになる。

 

 

制約することが当たり前になってしまうと、ひとはそれ以上に大きくなれない。

 

 

 

しかし、変化を拒む“自分”を断ち切ることは簡単なことではない。

 

 

これは、歳を重ねるごとに困難になってくる。

 

今まで、ずっと一緒にいたもうひとりの“自分”だから。

 

 

 

 

多くのひとはこう思うだろう

 

 

この心の壁を乗り越えるには・・・

 

 

「時間をかけてゆっくりとならできるかもしれない」

 

 

「よほどの決断をしないと難しいだろう」

 

 

 

と・・・

 

 

“自分”を変える難しさを知っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

しかし・・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

この“自分”をほかのものに置き換えてみるとどうだろう。

 

 

 

 

 

考えていたよりもずっと壁が低くなったのではないだろうか。

 

 

 

 

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コメント

『行動を起こすことに対して、理由をつけて一歩を踏み出せない“自分”がいる。』

自分の気持ちが、ゆれているなら…

「まだその時期ではない」

ゆれている理由が、そこにあるから…
その理由付けをする必要がなくなるように、問題解決する必要があるから・・・

そして

『変化を拒むことは、今までの環境が心地良いから。
平穏を守るために行動を制約する“自分”がいる。』

これは、ある意味自己中的。
自分に甘えているから・・・
これじゃぁ、何事も前には進めない。


『この“自分”をほかのものに置き換えてみるとどうだろう。
考えていたよりもずっと壁が低くなったのではないだろうか』

原因が、そこにある限り、壁が低くなることはないと思う。
“自分”に対する見方と、正しい知識と判断
が必要。
そして、相談する相手は・・・・

自分を解ってくれて信頼できる人

と・・・

自分を生んでくれた両親…この人たちを抜きにしては、あとあと違う形で問題が生じる時があると思うよ。

睡魔が抜けきらないので論点ずれているかもしれない。(笑)

投稿: おちょう | 2009年6月 4日 (木) 13時30分

>おちょうさま
 
言葉というものは不思議なもので、読み手の経験・信条・体調等によって180度受け取り方が異なります。
 
 
この文章の場合、ポイントは
 
「この“自分”をほかのものに置き換えてみるとどうだろう」
 
という部分です。
 
 
 
例えば、自分がやりたいことへ向けての行動を起こす際に、何らかの理由で枷になっていることがあるとします。
 
それが“自分”であれば断ち切るのは困難であるが、そうでなければ、そんなに難しくはないでしょ?
 
 
ってことです。
 
 
だれにでも「やりたいこと」「やってみたいこと」というのは、普段の生活においてもたくさんありますよね。
 
 
何が言いたいかというと・・・
 
「いろんな経験を積みたいときには、(気持ち的にも)身軽なほうがいいですよね」
 
ってことです。
 
 
論点がどうこう、ということではなく観点の違いかもしれませんね(笑)
 

 
 

投稿: ふぇんりる | 2009年6月 4日 (木) 20時01分

『自分がやりたいことへ向けての行動を起こす際に、何らかの理由で枷になっていることがあるとします。
それが“自分”であれば断ち切るのは困難であるが、そうでなければ、そんなに難しくはないでしょ?』

難しくないように思うのは、一歩踏み出す方向が、きちんとみさだめられているときだよね。

おかれている状況によっては、断ち切ることのできないものもあるとおもうよ。

投稿: おちょう | 2009年6月 4日 (木) 23時19分

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